2011年05月11日

陸前高田、気仙沼

4月の16、17日知人のカメラマンと陸前高田、気仙沼へ撮影に出掛けた。

金曜の昼、千葉での通常の撮影を終え、夜中に東京出発の予定をたてた。
1000キロ以上走るので自動車オイルが心配だったので杉並に戻る途中、幕張のトヨタに寄った。営業はすでに終わっていたが事情を話したらオイル交換、プロケア10までしてくれた。
それというのも営業マンが大槌町の出身だったからである。彼は震災の2日後に20時間かけて
国道で大槌町に行って来たそうだ。

午前0時に東京を出た。事前に購入しておいたガソリンの携行缶にもガソリンを入れ大泉インターから東北道へ。
途中、事故通行止めになりサービスエリアで3〜4時間程待たされた。
土曜の昼過ぎに陸前高田のかなり上の竹駒地区に着いた。海からは10キロは離れていると
思う。

突然目の前に現れたのは瓦礫の平野だろうか?
車を停めるとこを探し撮影を始めた。撮影をしてしばらくすると大雨が降り出したので
車で仮眠をとった。雨が降る事は天気予報でわかっていた。

2時間程すると太陽が出て来た。
起きると、となりに停めてあった車に60代の男性がいた。
ここに車を停めて良いか尋ねると、どうぞと言ってくれた。
どこから来たのか聞かれ東京から写真を撮りに来たと答えると、わざわざ東京から来てくれて
有り難うと言った。
意外な言葉だった。
被災にあった家は男性の奥さんの実家のようであった。
もしよかったら家の中も見ていって欲しいんだと言われ、瓦礫の間を作った道を歩いて家に向かった。途中,転びそうになった。
そこの家は木に囲まれるように建っているために辛うじて流されずに済んだらしい。
しかし家の中はめちゃくちゃだった。そこに住んでいるおばあさんは津波を見ながら必死に裏山に駆け上がったと言っていた。
その後、夫妻で高田一中まで案内をしてくれた。

高田一中を出て撮影のため市街地に向かった。もう陽が傾いていた。
市街地に入ると辺りは静まりかえっていた。その中に自衛隊、大型の重機や警察車両。
瓦礫の市街地には澄み切った青空。音はほとんどない。
シャッターを切り出すと、となりへとなりへと進んで行ってしまう。
感度ぎりぎりまで撮影をして翌日撮影をする予定の気仙沼に向かった・・・。

写真はhttp://www.color-field.biz
よりご覧下さい。portfolio-daily-陸前高田
陸前高田_0039.jpg陸前高田_0080.jpg気仙沼_0465.jpg
posted by yoshidamitsuhiro at 00:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記